Kenken Japan World’s Diary

これから秘境の地(海外)へ挑む、誇れるあなたを創るための未来逆算日記

「なぜ日本人は英語が苦手なのか?」言語学からみる『英語』と『日本語』

 

こんにちは。

けんけんです。

 

 

今日はノウハウチックなお話をしたいと思います。

 

 

多くの方が日本人の英語能力はあまり高くない、と思っています。

 

 

現に僕が海外で留学、勤務、旅行をしていた時に、

結構高い確率で日本人が英語に悩まされているのを見てきました。。

(僕もその一人だったんですが、、)

 

 

 

しかし、

周りを見渡せば、中国人、タイ人、インドネシア人は、

流暢に英語を話せていたのを目の当たりにしました。

 

 

 

人口数、教育制度が関係しているのはもちろんありますが、

僕はそれ以前に『根本の言語に関係している』んじゃないか、

と思いました。

 

 

 

そして、

言語学』を調べたところ、

やはり関係しているものがあったのです。

 

 

そして、

自分の過去の経験と照らし合わせてみても、

納得するところが多々ありました。



 

結論から言いますと、

世界には約6900言語あると言われていますが、

それらのとても多い言語の『文法』『発音』『文字』に関しては、

全体的に言って

 

 

『文法=3種類』『発音=3種類』『文字=2種類』

 

 

しか分けられていないのです。

英語も日本語も中国語もフランス語もイタリア語もスペイン語も数多くの言語がありますが、たったの3種類の文法と3種類の発音と2種類の文字しか分けられていないんですね。

 

 

 

そう考えると必然と文法、発音が似ている同士の言語は扱いやすく、

似ていない言語同士を扱うのは、難しく考えられます。

 

 

 

今回は、

その言語学からみた『文法』『発音』『文字』を中心に、

なぜ日本人は『英語が苦手なのか?』について話そうと思います。

 

 

 

この記事を読むことで、

 

言語をただの『言語』としてみるのではなく、

言語から学べるその国の歴史的、文化的背景を視れる視点を持つことができ、

日本語と英語を良い意味で『分けられる』ことができます。

 

 

そして、

日本人が英語に対しての『恥』は、

「非常識」ということも実感すると思うので、

ぜひinterestingの方の「面白さ」でみていただけると嬉しいです;)

 

 

 

 

では、まず世界の言語にある「文法」からお話しします。

 

 

 

 

➖➖文法➖➖

 

 

 

皆さんもご存知の通り、

文法は言語の「核」となる場所でかなり大事です。

 

 

文法が全く異なると、

相手への伝わり方も違った方向に受けとられるので、

相手との意思疎通をより図るのであれば、

ある程度の文法はとても大事になってきます。

 

 

 

文法の分類の仕方は色々あると思いますが、

一般に世界の言語は、以下の3つに大別されると言われています。

 

 

➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖

 

屈折語(inflective language)

孤立語(isolating language)

膠着語(agglutinative language)

 

➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖

 

 

「五文型」的に大まかに文章構造を言いますと、

 

①と②が英語のような『SVO』式の構造で、

 

I play the tennis

(私は)→(する)→(テニスを)

 

 

③が日本語のような『SOV』式の構造は、

 

(私は)→(テニスを)→(する)

 

 

というように分類されています。

 

 

 

①と②の違いは、

あまり大差ありませんが要は

動詞の部分(V)や名詞の部分(O)が変形するか、

変形しないかのちょっとした違いです。

 

 

つまり、文章の構造は実質、「2つ」しかないんですね。

 

 

もう少し具体的に、①、②、③を詳しく見ると、

 

 

①の屈折語は、『SVO式』で語が変化する(go→goes等)もので、

英語を含み欧米言語が主体です。

 

 

②の孤立語は『SVO式』で語が変化しないもので、

主に中華圏の言語(中国語及びタイ語ベトナム語インドシナの言語)です。

 

 

「孤立」とは、

それぞれの「完結した語」が独立しても意味を持っていることを言います。

 

例えば、

 

 

我 愛 你

(私は)→(愛してます)→(あなたを)

 

 

これも一つ一つの語に意味がありますよね。

 

 

つまり、この「語」をただ文法のSVO式に置き換えるだけで意味が成り立つのです。

 

 

中国語には英語のような「三人称単数」「複数名詞」という規則がないのも納得つきます。

 

 

中国人の英語あるある、で

彼らが動詞の「s」をつけ忘れたり、

複数名詞にし忘れるのもこれがあるからです 笑

 

 

 

③の膠着語はSOV式で、

英語とみてみると、「glue(のり)」っぽいものが見て取れることから、

助詞(日本語で言う、てにをは)が「膠」(にかわ)のように各語をくっ付いています。

 

 

これは、東洋のシルクロード周辺・延長に多く見られる言語で、

トルコ語ベンガル語モンゴル語・韓国語・日本語等があります。

 

 

 

 

これらを見てわかる通り、

冒頭で話した中国人、タイ人、インドネシア人は、

英語が上手な人たちがたくさんいることも理にかなっていますよね。

 

 

 

一方で、

日本語・韓国語は、「③の言語」に属しているので、

文法の観点からみると、日本人が韓国語を簡単だと思うように、

韓国人も日本語を他の外国人よりも簡単だと思うのです。

 

 

 

 

このように、

世界の言語は、文法を大きく分けて3種類しかないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

➖➖発音➖➖

 

 

 

これは学術的にそうはっきり論じられてませんが、

僕の知り合いのアメリカ人・イギリス人英語講師によると、

発音の体系は以下の3つに大別されます。

 

 

➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖

 

① アクセント言語(accent language)

② 声調言語(tonal language)

③ 平坦言語(flat language)

 

➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖

 

 

①のアクセント言語は、

英語などアクセントがあるものです。

 

 

②の声調言語は、

アクセントもあり、トーンにも「高低」があります。

代表的には中国の例の4つの声調です。

 

 

「マー、マー、マー、マー」は、

とても有名ですよね。

 

 

ちなみに、

タイ語もそうで、5つあります

(このため、聞いた感じが中国語と似ていますよね。)

 

 

③の平坦言語は、

日本語等なべて抑揚が少ないものを示します。

 

 

欧米言語は概して①であり、

中華圏(中国 + インドシナ)の言語は、概して②であるため、

大雑把に文法の分類と対応していています。

 

 

 

 

実際、中国人がタイ語を勉強するととても速く上達するのもこれが理由です、

その逆も然り。

 

 

 

中国語とタイ語は、

「大タイ語」という中間地点の言語が起源だとされる説があり、

項羽と劉邦」の楚(中国南方)では、

当時今のタイ語に近いものが話されていたそうです。

 

 

 

だから、

中国人とタイ人は『声がでかい!』という共通点があるのもわかります 笑

 

 

それは、音にアクセントもあり、トーンもバリーエーションが多いからですね。

 

 

また、

なぜ、日本人が英語の発音を難しいと思うかというと、

 

1つ目は、英語には音に「抑揚」がありますが、

日本語には音に「抑揚」があまりないのがあるのと、

 

 

2つ目は、英語は、単語が「子音」で終わるか、

もしくは「母音」で終わるか、の違いがありますが、

 

日本語は、ほとんどの単語が「母音」で終わります。

 

 

例えば、

「bread 」という語で考えると、

英語話者は、「bread 」の「d」は子音で終わるのに対して、

日本人は、「bread」の「d」を、「ドォ」の「ォ」の母音で終わります。

 

 

言語学から考えてみても、

日本人が英語の発音に苦戦するのはわかりますよね;)

 

 

 

ちなみに、

フィリピン人が日本語を話すのが比較的うまいのは、

タガログ語スペイン語をベースにしており、

発音体系が日本語と似ているからです。

 

 

 

 

➖➖文字➖➖

 
 
 

世界の言語の文字表記体系は、

大別して以下の2つに分類できます:

 

 

➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖

 

表意文字(ideogram character)

表音文字(phonemic character)

 

➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖

 

 

1の表意文字は、

文字自体に意味があるもので、

古代では「象形文字」などがあり、

現代では代表的には『漢字』です。

 

 

現代では、

漢字の中国語と日本語が造形文字になっています。

 

 

「鳥」という字はトリの形から来ており、

この字単独でトリを意味するように、

あるモノがそのまま「文字」となったものです。

 

 

2の表音文字は、

現在世界の多くの言語の主流で、

代表的にはアルファベットです。

 

 

「bird」という文字同士が集まれば、

トリという意味になりますが、

bなり個々の文字には意味がありません。

 

 

しかし、

表音文字では、何文字か集まってある特定の意味を示す「パーツ」を合体させると、

表意文字のような働きをすることがあります。

 

 

例えば、

「cap」というパーツは(抽象的に)「頭」を意味し、

 

「cap」  → キャップ(帽子)、

「captain」→ キャプテン(チームメンバーのヘッド

「capital」 → 首都・大文字・資本(中心となるものヘッド

 

 

 

「under」というパーツは「下に」を意味し、

 

「understand」   → 理解する(下に立つことから、心の奥下に筋道を立てるイメージ)

「underline」    → 下線、強調する(下にかく線のイメージ)

「underground」→ 地下の(下にある土地のイメージ)

 
 
 
 
単語を覚える時に、
文字の「パーツ」が持つ語源を理解していれば、
その単語がたとえわからなくても、
それに合うような意味のイメージをすることができるので、
愉しく覚えられますよね;)
 
 
 
 

➖➖まとめ➖➖

 
以上、
「文法」「発音」「文字」を中心的にお話ししました。
 
 
言語学を学ぶことで、
国が違えど、言語の特徴が同じであれば、
その国同士が過去に何か関わりがあるんじゃないか、
と推測することができます。
 
 
そして、
その視点は「言語」だけでなく、
その国の「文化」「歴史」もセットで学べることがあるので、
違った各分野の学習でも、
パラダイムシフトかのように類似することがあります。
 
 
 
また、
「英語」と「日本語」がいかに語源的に視て、
異なることがわかりましたよね。
 
 
 
多くの日本人が「英語を難しい!」というのは、
それは『日本語で英語を考えている』から、
英語が日本人にとって難しいと感じるのです。
 
 
ようは、
日本語の概念と英語の概念を網目のように一緒に考えているから苦戦するのです。
 
 
根本が違うので、
日本語と英語に境界線を引いて、
考えたほうがより英語の理解度が上がりますし、
気持ち的にも楽になることができます。
 
 
それが巷でいう「日本語脳」と「英語脳」というやつです。
 
 
自分で踏ん切りをつけて、
「日本語と英語は、言語形態が違うんだ!」と感じれば、
 
 
自ずと、
英語のスピーキング練習、
発音練習に「恥」を持たなくなり、
『失敗上等!』精神で取り組むと思います。
 
 
 
以上、
ノウハウチックな記事になりましたが、
言語関係(特に英語)で何か要望あれば、
記事にしますのでお待ちしております;)
 
 
 
 
ぜひ、
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ではでは!
 

 

 

 

 

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『常識』と『マネ』と『変化』 ‖ 葛飾北斎から影響を受ける世界の芸術家たち

こんにちは。

けんけんです。

 

 

みなさん、葛飾北斎はご存知ですか?

 

 

多くの方々があの「浮世絵」でご存知ですよね。

 

 

そして、

とても多くの有名な作品をこの世に残していますよね。

 

 

例えば、

富嶽三十六景シリーズだったり、

 

 

 

 

または諸国滝廻りシリーズだったり、

 

 

 

 

そして、

絵本シリーズだったり、

 

 

 

 

多くの絵画を築き上げてきました。

 

 

 

そして、

歴史、芸術に詳しい方は、

葛飾北斎とフランスの芸術文化が

深く繋がりがあることはご存知かと思います。

 

 

 

 

今回は、

葛飾北斎がフランスの近代文化、

世界の画家たちにどのように影響を起こしたのか、

 

 

そして、

フランスの文化から、

今もなお世界で知られている画家たちから

僕たちは何を学んで、日常に落とし込むのか、

 

 

 

そんな話をします。

 

 

 

日本文化のこと、

フランス文化のこと、

日常のアンテナのはりかた、

 

 

これからについて学ぶきっかけになれたら嬉しいです;)

 

 

 

 

ちなみに、

葛飾北斎を一言でいうと、

 

 

ヘンタイです 笑

 

 

アートのヘンタイです笑

 

 

そして、彼の娘、

葛飾応為もヘンタイです 笑

 

 

 

彼らのことはこの記事では省略しますが、

近いうちに彼らについて書くかもしれません。

 

 

彼らの生涯、というか、

葛飾北斎は常に上を目指し続けた男なので、

ド職人気質な人の一生涯、

とても勉強になりますので;)

 

 

多分、彼の生涯に共感できる人、できない人、

極端に分かれると思います。

 

 

僕はまぁまぁ、共感できる方でした 笑

 

 

 

話は逸れましたが、始めます 笑

 

 

 

〜〜目次〜〜
葛飾北斎とフランスの印象派
フランスの近代文化の影響
近代文化と僕たちの現在(いま)
フランス画家も僕たちも結局は同じ
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➖➖葛飾北斎とフランスの印象派➖➖

 

18世紀、

イギリスの産業革命後、

ヨーロッパ全域で近代化が進み、

フランスの芸術文化もその一つでした。

 

 

フランスで1867年、

第2回パリ万博が開催され、

世界中のアート作品がパリに勢揃いしました。

 

 

 

もちろん、当時江戸だった、日本も万博に参加して、

日本の独特な芸術作品も多数参戦しました。

 

 

 

そこで日本の芸術ブースで、

多くの画家、貴族、平民が声を揃えて賞賛しました。

 

 

 

『Wow!!ジャポネーゼ!!!』

 

 

 

それが『浮世絵』です。

 

 

 

その大勢の中でも特に感銘を受けた人たちがいました。

 

 

それが、

エドゥアール・マネクロード・モネ

ルノワールゴッホなどの印象派の画家たちです。

 

 

 

彼らは、

浮世絵という独特なアートに驚愕したのです。

 

 

 

遠隔法を完全に無視した、物体をはっきり描く技法、

自由奔放でルーツに縛られない構図、

木版画で多色刷りを使用した錦絵、

庶民、風景、物体(花)などが描かれている「非常識」さ

 

 

 

すべての『常識』が覆されました。

 

 

 

伝統を重んじてきた「固定概念」が

一気に吹き飛ばされました。

 

 

 

それから、

高貴なものと認識されていたアートが、

他国では貴族だろうが、平民だろうがお構いなし、

自己を表現する絵画になっていました。

 

 

 

 

 

『常識』から『非常識』の道を進む時がきました。

 

 

 

➖➖フランスの近代文化の影響➖➖

 

フランスの巨匠、

エドゥアール・マネクロード・モネ

ルノワールゴッホなどの「非常識」人は、

 

 

すぐさま葛飾北斎らの浮世絵技法を

「マネ」て、自分のスキルに活かしました。

 

 

エドゥアール・マネは、

浮世絵の平面的な画面

伝統的な西洋絵画のボリューム感を融合させた、

オランピア

 

 

 

 

 

クロード・モネは、

浮世絵の遠近法技術

伝統的な西洋の遠近法的空間表現

一緒に活用した「木の間越しの春」

 

 

 

 

 

 

ルノワールは、

浮世絵の明るい色調

伝統的な暗い色調を織り交ぜた

エミール・ゾラの肖像」

 

 

 

 

ゴッホは、

浮世絵のくっきりとした輪郭線

伝統的なぼんやりとした筆づかい

合体させた「ひまわり」

 

 

 

 

 

フランスの有名な巨匠たちは、

自分が今持っているスキルと、

外から得た技法や知識をマネて、

全く新しいものへと「変化」させていきました。

 

 

 

 

当時の数少ない画家たちは、

現代の常識から抜け出して、

 

全くことなるものをマネて、

自分のスキルとして吸収して、

新しいことへ変化させていきました。

 

 

 

その変化という新しいチャレンジは、

より自己を表現するものになりました。

 

 

 

多くの画家が、

画を通して自己表現することができてから、

それを鑑賞する貴族、庶民、

地位関係のない人々が感動し、

 

 

画を「アート」として視るのではなく、

画を「自分ごと」のように意識するようになりました。

 

 

一人一人が1つの画を鑑賞することで、

違った感じ方、捉え方が芽生えるようになり、

自分への内面をより意識するようになりました。

 

 

そして、

「自己の内面」が哲学、道徳、倫理学に反映されていきました。

 

 

フランス人は、

絵を買う習慣があります。

 

 

様々な絵画が、リビング、寝室、廊下に飾ってあります。

 

 

それは、

単なる「飾り」としておいているわけではないのです。

 

 

 

 

 

➖➖フランス文化と僕たちの現在(いま)➖➖

 

僕たちは、

当時の伝統的なフランス文化のような時代で

生きているのかもしれない。

 

 

先代の偉人たちが残した栄光を

今でもきちんと受け継いでいるのかもしれない。

 

 

栄光が創り上げた「常識」を

今でもしっかりと残しているのかもしれない。

 

 

そして、

伝統的な教育制度、働き方、

男女格差、組織・年齢序列、

社会の在り方、子育て、人間関係、

 

 

 

すべてが以前の「常識」に

凝り固まっているのかもしれない。

 

 

 

その「常識」が通用するのは、

実は現在(いま)だけなのかもしれない。

 

 

 

井の中の蛙状態。

 

 

 

新しいものに触れるのにためらい、

マネもせずに変化を拒む。

 

 

新しいものには触れ、

それをマネる一歩を踏み出すが、

自分の良さを忘れ、

完璧な「マネ」にはまってしまい、

変化が燃焼してしまう。

 

 

 

井の中の蛙が大海を知っても、

大海に飛び込むチャレンジをしない。

 

 

 

そんな現在(いま)が僕たちの時代だと、

僕は思います。

 

 

➖➖フランス画家も僕たちも結局は同じ➖➖

 

だから僕たちは、

自分の存在を近代化のフランス画家のように、

常識』を疑うことを恐れず、

 

自分の誇れる良さ

外から得た良さを組み合わせるべきだと思います。

 

 

その外から得たよさは、

海外だけではなく、

国内でも見つけることは可能です。

 

 

それは自分が好きなこと、

研究したいこと、将来につながること、

多種多様にあるのですから。

 

 

それが、「学び」だと思います。

 

 

ぜひ、『学び』を日常から非日常まで取り入れてみましょう。

 

 

そして、

学んで経験して、

自分で表現していきましょう。

 

 

自分を表現した先に、

自分の想いが鮮明になってきて、

自分の内面」に触れるときがくるかもしれないです。

 

 

 

その時は、

ぜひ触れ合ってみましょう。

 

 

 

それは、自分にとっての本当の『学び』になるかもしれません。

 

 

 

学び』って素敵ですよね;)

 

 

では、今日はこの辺で。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました;)

 

 

 

 

 

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朝の混沌とした通勤ラッシュの中で見た小さくて大きな輝き

こんにちは。

けんけんです。

 

 

朝の通勤ラッシュ、

狭い都市部行きの長い箱の中に、

いろいろな感情を持った人が

缶詰のように押し込まれられています。

 

 

イライラしながらブツブツ言っている人、

目を閉じ地蔵かのように時を過ぎるの待つ人、

眼球を広げ、携帯のゲームに無我夢中な人、

 

 

あまり良い雰囲気とは言えない中、

僕はある小さな輝きを目にしました。

 

 

人ごみの中で潰されそうにされながら、

本を楽しそうに読んでいる

小学生の男の子です。

 

 

混沌とした空間の中で、

彼は楽しそうに本をめくってはめくって

時々、うんうん、と頷いていました。

 

 

 

あ、考え方次第だな。

 

 

 

そう思いました。

 

 

 

 

どんな環境においても、

楽しめる人はその場を楽しみ、

辛いと思っている人は、

その場を否定的に見ます。

 

 

同じ空間、同じ匂い、

同じ時間をともにしているにも関わらず、

人の発するエネルギーは違います。

 

 

エネルギーの根源は、

その人の『』のあり方。

 

 

心が豊かであれば

目の前に起こっていることを

肯定的に捉えることができます。

 

 

その場を肯定的に考えると、

新たな視点が見えます。

 

 

外の風景、

中吊りの広告、

駅のホーム、

 

 

すべてが美しいと感じます。

 

 

 

天気が良ければ、

外に見えるものは

カラフルな建物、

 

 

広告をみれば、

自分が知らなかった

新しい発見ができ、

 

 

町並みを見れば、

人の生の多さに気づきます。

 

 

平和だからこそ、

今の生活が与えられています。

 

 

平和だからこそ、

美味しいものを食べられ、

綺麗な服を着ることができます。

 

 

平和だからこそ、

自由な考え、

自由な行動ができます。

 

 

 

視点を少しずらすだけで、

こうも見える世界が違います。

 

 

大きい人たちから覆われている中で、

あの少年がその『事実』を考えもせず、

目の前の本に夢中になって、

愉しそうに心を弾ませている。

 

 

カオスな場所だからこそ、

暗い環境だからこそ、

重い雰囲気だからこそ、

 

 

心の灯火をあげようじゃないか。

 

 

そんな日常のすべてが

ワクワクするような

子供みたいな大人になっていこうじゃないか。

 

 

 

そんな大人が今後もどんどん増えていけばいいな、

と思いました。

 

 

 

僕たちは、

子どもに「教える」のではなく、

子どもから『教わる』ことがたくさんあると思うので。

 

 

 

 

日々の生活は、視点を変えれば学びがありますね;)

 

 

今日はそんなブログでした。

 

 

ぜひ、共感していただけたら、

いいね、コメントして頂けたら嬉しいです;)

 

 

 

今日はこの辺で。

 

 

 

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『鏡』に映し出されているあなたの『心』

こんにちは。

けんけんです。

 

 

今日は、

「心」について書きたいと思います。

 

 

 

僕たちが、

「心」とひとことで

くくっているこの言葉の意味するものは

つかみどころがなく深淵です。

 

 

 

 

僕が最近読んだ本、

自己を知るヨーガ』の冒頭で、

 

この「心」について

わかりやすく説明されています。

 

 

 

僕たちは

自分の顔を見るために

鏡という道具をつかいます。

 

 

汚れのない

綺麗な鏡で見れば、

僕たちの顔は

そのままの姿で映り、

 

 

逆に、

その鏡が汚れていたり、

大きな傷がついていたら

 

鏡に映る顔も

歪んで見えます。

 

 

 

 

 

ここでいう

鏡とはなんでしょうか?

 

 

それが僕たちの

「心」だと僕は思います。

 

 

 

『自己を知るヨーガ』

にはこう書かれています。

 

 

われわれは本当の<自分>を見るために、

きれいに澄んだ静かな心をもたなければならない。

 

われわれの中には、鏡をいつもきれいに保ち、

自分が美しいとうことを知っている人もいる。

 

また、埃をぬぐわない人もいる。

 

それを曲げたり、壊したりする人もいる。

 

 

 

 

綺麗な心で見れば、

本当の自分を

正しく見ることができます。

 

 

乱れた心で見れば、

本当の自分は隠れてしまい、

やがて偽りの自分を

本当の自分と思い込むようになります。

 

 



 

 

 

僕たちは

汚れた鏡のなかに映る自分の顔が

汚くても歪んでいても、

 

けっして

驚いたりはしないです。

 

 

 

なぜなら、

それは鏡のほうに問題がある、

ということを自分自身で

納得させようとするからです。

 

 

 

 

そして、

 

 

自分は美しくない・・・

 

自分のことが嫌い・・・

 

自分を変えたい・・・



そんなふうに、

心に映る自分については、

 

心のほうに『問題』がある

とは思わないのです。

 

 

 

 

だから人は、

心のほうではなく、

自分の外側のほうを変えようとします。

 

 

経済力をつけようとしたり、

 

権力を得ようとしたり、

 

モテようとしたり、

 

ブランド品で身を固めようとしたり、

 

高級車を乗り回したり、

 

 

 

 

 

しかし、

 

 

どれだけ外側を

立派に見せたり、

ひとに好かれるように見せたり、

富を得たりしたとしても、

 

心に映る自分自身の姿は

変わりません。

 

 

僕たちが

変えるべきなのは、

自分の外側にはなく、

自分の内面を磨くこと。

 

 

 

心を正しく扱えるようになる

必要があること。

 

 

 

だから、

僕たちは心のトレーニングを

追求する必要があると思います。

 

 

心というこの曖昧なものを

理解し扱えるようになることで、

 

 

外側世界の

事象に、大きく翻弄されることや

激しく動揺すること、

 

気分に支配されるということが

確実になくなります。

 

 

なぜなら、

自分で心を律せることができるからです。

 

 

 

心に支配されたまま、

物質的な悩みに

思い悩みつづける次元を超え、

 

 

本来のビジョンを実現することに、

才能と情熱とエネルギーを

注力することができるようになります。

 

 

 

それが、

夢中だったり、

寝る間も惜しんで

打ち込むものだったり、

 

それをやってい自分が

子供のようにワクワクして、

笑顔になっていたり。

 

 

 

心の探求は深淵でつかみどころがなくてとても面白い。

 

 

 

では今日はこの辺で。

 

 

 

 

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才能に乏しかった少年はどうやって夢を叶えることができたのか?

ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。
だから、今、ぼくはガンバッている。
今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。
そして、世界一になったら、大金持ちになって親孝行する。
カップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。
そしてレギュラーになって10番で活躍します。
一年間の給料は40億円はほしいです。
プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り、世界中の人が、このぼくが作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。
一方、世界中のみんなが注目し、世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。
セリエAで活躍しているぼくは、日本に帰りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。
ブラジルと決勝戦をし2対1でブラジルを破りたいです。
この得点も兄と力を合わせ、世界の強ゴウをうまくかわし、いいパスをだし合って得点を入れることが、ぼくの夢です。

 

 

その少年は、世界一のサッカー選手になるという夢をもっていた。


夢に向かって必死に努力し、何とかガンバ大阪のジュニアユースのチームへ入団することが出来きた。

しかしチームには才能あふれる選手が多く、少年はその中ではレギュラー外。
高校へと上がる時に、少年に厳しい現実が突きつけられる。


ユースへの昇格が認められなかったこと。


将来プロのサッカー選手になるための近道として、プロチームのユースという将来プロになるであろう青年の育成を目的とする場所から上がっていくのが順当なルート。

しかし、才能の乏しかった彼は、ユースへ入ることが出来なかった。

 

ここで多くの人が諦める。

 

俺には無理だ。才能がない。実力もない。技術もない。

しかし、彼はあきらめなかった。

高校の部活動からプロへと入っていく道を模索する。

自分自身のことをサッカーが下手だと辞任する少年が書いた有名な卒業文集がある。

 

 

ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。
だから、今、ぼくはガンバッている。
今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。
そして、世界一になったら、大金持ちになって親孝行する。
カップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。
そしてレギュラーになって10番で活躍します。
一年間の給料は40億円はほしいです。
プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り、世界中の人が、このぼくが作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。
一方、世界中のみんなが注目し、世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。
セリエAで活躍しているぼくは、日本に帰りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。
ブラジルと決勝戦をし2対1でブラジルを破りたいです。
この得点も兄と力を合わせ、世界の強ゴウをうまくかわし、いいパスをだし合って得点を入れることが、ぼくの夢です。

 

 
そうです。
本田圭祐さんです。
 
 
 
 
そして、彼は夢が叶いました。
 
 
子供時代の挫折から諦めず努力を続けた結果、
日本代表のエースとACミランの背番号10にまでたどり着きました。


明確に夢を思い描き、
それが現実を引き寄せる力もさることながら、
諦めずに努力も欠かせませんでした。


そして自分だけの願いではなく、
親孝行をしたい、周りの人の幸せをも願った夢も持っていました。
 
 
 
現在の彼は、
プロサッカー選手であり、サッカーの監督であり、
事業家であり、投資家であり、
教育者であり、一人の父親でもあります。
 
 
 
現在、
サッカー以外で多種多様な分野で活躍されています。
 
 
なぜ、彼はサッカー以外のことまで幅広く挑戦しているのか。
 
 
 
それは、
サッカーをやり続けたから』です。
 
 
 
サッカーで頂点を目指して、
ACミランという世界の強豪チームで約2年間プレーして、
サッカーという『分野』で一流になったから、
サッカー以外のことも挑戦し続けているのです。
 
 
 
『一流』になることは、

闇夜に針の穴を通すくらい困難です。

 

 

 

時間がいくらあっても一流になることは極めて難しいです。

 

 

 

しかし、

一流に『触れる』ことはできます。

 

 

そして、それは人だけではなく、

『モノ』や『情報』も同じことが言えます。

 

 

その一流に触れることは、実は案外簡単なのです。

 

 

それは一流の人の試合、ライブ、パフォーマンスを肌で感じたり、

世界中で語り継がれている一流の書物を手にとってみたり、

実際に出会った一流の人の話を聞きにいったり、

 

 

五感を通じて触れることができます。

 

 

 
それは日本だけでなく、
世界中でも同じことが言えます。
 
 
 
一流の文化人を見る、
一流の建造物を見る、
一流のパフォーマンスを見る、
 
 
すべては同じです。
 
 
一流が残した功績は時代が経っても語り継がれます。
 
 
そして、多くの人の心に刻まれていくのです。
 
 
刻まれていったものはやがて『言葉』となって
広まっていき、
親から子へ受け継がれていきます。
 
 
受け継がれた子供はやがて夢を持ち、
その夢を叶えるレールを創りあげていきます。
 
 
 
僕たちは、一流に『触れる』ことができます。
 
 
『触れる』経験をどんどん増やしていきましょう。
 
 
それは書物でもいいですし、絵画でもいいですし、
実際に足を運んで五感を研ぎ澄まして感じてみるのもいいです。
 
 
 
そこには、
新しい発見や学びが起こると思います。
 
 
 
 
 
翼のはえた勝利の女神、ニケ
 
ナイキの名前でモデルとなった彫刻です。
 
 
美術の教科書でしかみたことがないものを
実際に足を運んで感じとりにいきました。
 
 
 
思ったよりもとても大きく、
もともと頭、腕がなかったかのような
力感あふれる大理石彫刻。
 
 
 
彫刻という一流の「芸術」にふれて、
きめ細かに形作られている翼、
柔らかそうでまるで本物かのような布、
『美』を極めて『モノ』でした。
 
 
 
『彫刻』『絵画』『建築』は、
創作者自身の『想いの作品』だと思います。
 
 
そこには、
創作者自身の人柄、生活、バックグラウンド、
その時代の背景も感じとれることができます。
 
 
感じとった先に共感する部分、
エネルギーをもらえる部分、
心を踊らされる部分が心から湧き出てきます。
 
 
 
一流の「モノ」にふれ、
自分の感性や美学が豊かになっていき、
自然と日常の生活が鮮やかになっていきます。
 
 
 
ぜひ、『一流』にふれてみてください。
 
 
 
それは、きっとあなたをより素敵にしてくれます。
 
 
 
 
 
今日はこの辺で。
 
 
ありがとうございました;)
 
 

 

 

 

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『アメリカの大統領が感激した』NASAを訪問をした時の清掃員の言葉

こんにちは。

けんけんです。

 

 

今回は、

僕自身、その言葉を聞いてハッと気づかされ、

自分自身の生活、仕事、学業というものを改めて考えさせらたことについてお話します。

 

 

この言葉を聞いて、

あなたはどう思いますか?

 

 

たった、

2文字の言葉を聞いて、

あなたはどう受け取りますか?

 

 

 

 

 

ある時、

アメリカのケネディ大統領が

NASA(アメリカ航空宇宙局)を訪問した時です。

 

 

報道陣、政府関係者、NASA関係者、警備員、

多くの人が賑わっている時に、

 

 

ケネディー大統領は

フロアの床を楽しそうに一生懸命磨いている清掃員を見かけました。

 

 

一人で黙々仕事をして、

しかも楽しそうにしていたのでケネディー大統領は気になり、

その清掃員に声をかけました。

 

 

 

なぜ、そんなに楽しそうなのかね?

 

 

 

清楚員の黒人のおじさんは答えました。

 

 

 

僕は今、人類を月に送る手伝いをしてるんです。
素晴らしいNASAの仕事をしているんです。

これほど、やりがいがある仕事はない。
僕はこの仕事に『誇り』をもっているんです。

 

 

 

 

 

誇り

 

 

 

 

 

 

 

僕はこの言葉を聞いた時に、

果たして自分は仕事に誇りを持っているだろうか、

誇りを持って取引先と接しているだろうか、

誇りを持って毎日の仕事をこなしているだろうか、

誇りを持って学業に取り組んでいるだろうか、

誇りを持って、日々過ごしているだろうか、

 

 

 

僕は、

自分自身もっと、仕事、学業、生活

自分が日々行動していることについて考えを

改め直すべきだなと感じました。

 

 

 

仕事でいうと、

自分の仕事に信念や目的があるひとたちは、

人望が厚く常に利他的な行動をしていました。

 

 

僕らは、彼らをみてとても勉強になっていたのですが、、、

日を追うごとによって忘れていっていました、、、

 

 

 

だからこそ、

清掃員のおじいちゃんの言葉をハッ!ってなっていたのかもしれません。

 

 

清掃員のおじちゃんのように、

『人類を月に送る』という目的があるからこそ、

自分の仕事に誇りを持って仕事をしています。

 

 

自分のやっていることが評価されるかどうか、
人からどう見られるかに心を向けるのではなく、

 

 

『自分の仕事に目的を持っているかどうか』

 

『この仕事はいずれ誰かの役に立つのか、

そして、その連鎖を続くのか、
自分自身がちゃんと腑に落としているかどうか』

 

 

 

こちらの方に目を向けるべきだと僕は思いました。

 

 

 

僕は学生でも、社会人でもこの『誇り』を持つべきだな、

と思います。

 

 

『誇り』を持つからこそ、人間関係、日常生活、日々の視点が変わっていくと思います。

 

 

 

あなたは自分の仕事に誇りを持っていますか?

 

 

 

 

改めて考えさせられる言葉でした。

 

 

 

では、備忘録みたいで恐縮ですが、

あなたの中で、何か心に残るものがあれば嬉しいです;)

 

 

 

では、今日はこの辺で。

 

 

ありがとうございました;)

 

 

 

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全世界の人は進化どころか退化している‖視界の中にあるのは「全て偽り」

こんにちは。

けんけんです。

 

 

今日はすこし衝撃的なことについて話そうと思います。

 

 

僕含め全世界の人々は、

現代の世界は進化し続けていると思っていますよね。

 

 

科学文明の発達、生活のレベルの向上、安全安心な豊かな社会、

 

 

文明は目に見える形で、

僕たちの生活レベルを急速に引き上げてくれています。

 

 

99、9999%の人が、

そうだよね、と納得すると思います。

 

 

 

そして、

日本ではほとんどの人が持っている

 

 

スマホ

 

 

スマホ一つで、

僕たちが世界中どこにいようが、

好きな人と電話できますし、

チャットもできます。

 

 

重さ200g程度の

小さな「モノ」を持つことが、

僕たちの『常識』になっています。

 

 

「明日からスマホのない人生、、」

を考えてみれば、

おそらく僕たちは物足りない気持ちになり、

すっきりしない1日になると思います。

 

 

 

それほど、

僕たちは、スマホの威力に影響されているってことです。

 

 

 

また、

スマホ以外も文明は、もちろん発展しています。

 

 

インターネット、Wi-Fi

自動車、電車、飛行機

発電所、ロボット型〇〇機

 

 

視界の中にある僕たちの社会は、

紛れもなく発達しています。

 

 

 

 

 

しかし、

果たして『本当にそうなのか

 

 

 

最近、ふと、

そんなふうに思いました。

 

 

 

人間は、宗教というものをつくり、

「神」という概念をつくりました。

 

 

 

現在でも、精神の基盤として

宗教を信仰するひとは、世界中にたくさんいます。

 

 

そして、

18世紀後半に産業革命が起こってから、

科学』が神と考えるようになりました。

 

 

 

その科学を僕たちは

絶対の対象とし信仰しはじめ、

そして、『お金』も信仰の対象となりました。

 

 

これが、資本主義という名の宗教の始まりです。

 

 

 

資本主義が生まれてから、

科学やお金こそが

『神』という絶対的な信仰が

いつしかこの世界を覆い尽くしました。

 

 

 

今では、資本主義の世界が当たり前になってきて、

次に人々は、



収入、所有物、ステータス、学歴、職業、インスタ、

facebookInstagramのフォロワーやいいねの数などの

物質的な基準によって『人』の価値をつけ始めました。

 

 

これが原因で生まれたものが、

孤独、不安、恐れ、劣等感、

いじめ、差別、ハラスメント

といった社会的な問題です。

 

 

 

 

物質文明は、これからも僕たちが目に見えないところでもっと発達していきます。

 

 

 

それに比例して、個の分断と孤独、社会問題も加速していきます。

 

 

 

そして、

人類にとってまずいことは、

それらの負の出来事を『後世に残す』ことだと思います。

 

 

なぜなら、

今後生まれてくる人は

幼少期から、友達同士の間で、

より相対的に比較され評価されるようになり、

 

 

子供たちは、

いつしか親の見えないところで

劣等感』という大きな悪玉菌に感染されるのです。

 

 

その悪玉菌に感染された子供たちは、

自分らしく生きることを「非常識」だと捉え、

個性を出さない生き方が「正義」だと洗脳され、

社会が引いた平坦なレールに沿って歩み続けます。

 

 

 

先ほども言った通り、

現代は、経済的、物質的に豊かになっている現代です。

 

 

 

しかし、

心は豊かになっているのでしょうか?

 

 

 

 

人間自体はいったいどこまで進歩したのでしょうか。

 

 

むしろ、

「退化」しているのではないかと僕は思います。

 

 

 

物質文明や科学技術が発達すればするほどに、

 

 

人間はそれらを信仰し、自らの力や可能性に対する信頼を失っていき、

 

 

最後には、

個人の力が弱体し、自信を喪失し、社会が分断し、健康を害し、

 

 

個が自分の脳で考えられないように

覚醒しないように、催眠状態にかけられるのです。

 

 

 

僕は僕たちの知らない間で、

 

 

新聞、テレビ、インターネット、SNSYoutube

都市伝説、プロパガンダフェイクニュースマーケティング

などによって価値観を洗脳され、真実から目隠され、

こどものころから、思考停止教育をされたのかもしれないです。

 

 

 

僕たちの視界に入っている世界は、

ぼくたち、自分自身が思う理想の世界なのだろうか、

 

 

 

そこに「偽り」があるんじゃないのか。

 

 

 

映画「マトリックス」で、

 

映画の中の現実が、

あるひとたちが画策したとおりに

実現した社会(偽りの世界)

となっていることに、誰も知りません。

 

 

ごくわずかの人間がその世界に違和感を感じ、

現実の社会(世界)に立ち向かいます。

 

 

 

この話をSF映画のように

フィクションとして済ませていますが、

僕たちの世界にも類似するところがあるのではいでしょうか。

 

 

 

だから、

中東で革命があったように、

反社会組織があったように、

香港で今もなお、デモが起きているのです。

 

 

 

 

視点を日本から世界から、または宇宙から視ると

僕たちの『これから』の見方も変わると思います。

 

 

 

僕たちは、『資本主義社会』の中にいます。

 

 

もう一度、視界の中にあるものが、

僕たちが理想とする『現実』なのかをもう一度考える、いいきっかけになればとても嬉しいです;)

 

 

 

『全ては疑問から始まる』

 

 

と、僕は思うので;)

 

 

 

ではでは!

  

 

ありがとうございます;)

 

 

 

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